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ふくろう通信 チェロと宮沢賢治『チェロ弾きのゴーシュ』

  • 2020年

20204月 第247

チェロと宮沢賢治

チェロ弾きのゴーシュ

スタッフから今度のふくろう通信は明るい話題を、勧められました。私はチェロの音が大好きです。ただし妻が弾くチェロの音はイマイチですが(妻よ、ごめんなさい)。チェロは人と同じ声域の温かい音で、やや大型な楽器でくびれがあり女性を連想します。よき演奏ならば、官能的な気分にもなりチェロを抱きたくもなります。そして大好きな作家が宮沢賢治、とくれば彼の作品「チェロ弾きのゴーシュ」です。そうなるとただ、ただ明るい話ばかりにはなりませんでした。

 

花巻駅前のセロ弾きのゴーシュ

①チェロと宮沢賢治:多才で様々な面を持つ賢治は、音楽も大好きでした。そして熱血の人でした。昔の東北地方で、東京ですら西洋音楽など遠い存在だった時代に、チェロが上手くなりたい一心で上京して、新交響楽団(今のN響)の大津三郎氏から、3日間毎日2時間計6時間の特訓を受けました。早く娶るように叔母から度々催促された賢治は「こいづがあ、俺のガガ(女房)だす」とチェロを強く抱きしめて拒否し、独身を通しました。ところで賢治生誕100年の1996年10月16日、生誕地、岩手県花巻で世界最高のチェリスト、ヨーヨー・マは賢治が弾いていたチェロで、シューマンの「トロイメライ」を演奏しました。「セロ弾きのゴーシュ」の中にも登場する曲です。約800人の聴衆は胸を熱くし、聴きほれて涙を流す人もいたそうです。そんな聴衆の一人にチェリストの名手、藤原真理さんもいました。真理さんは幼いころに、賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を絵本で読み、賢治に夢中になったようです。真理さんによるとゴーシュとはフランス語で「不器用」といった意味があり、名付けたのではと言っています。

 

②セロ弾きのゴーシュ:この話は賢治の童話の中では短い方ですが、なかなか面白く、意味深長です。あらすじは……ゴーシュは町の活動写真館の楽団でチェロを弾く役だが、演奏が下手でいつも楽長からいじめられていた。そんなゴーシュのもとに、猫やカッコウを始め様々な動物が夜毎に訪れ、いろいろと理由を付けてゴーシュに演奏を頼む。そうした経験を経た後の音楽会本番での演奏は大成功し、司会者が楽長にアンコールを所望すると、楽長はゴーシュを指名した。ゴーシュは動物たちの訪問を思い出しつつ、猫を脅しながら弾いた「印度の虎狩り」という曲を夢中で演奏する。楽長は「10日間でよく仕上げた。赤ん坊から兵隊の演奏になった。やろうと思えばやれたんじゃないか、君は」と褒めたたえた。

③胸をうつ賢治の一生:私自身オーケストラでバイオリンを弾きますが、演奏が下手くそだと、胃のあたりが本当に痛みます。だからゴーシュのことは他人ごとではありません。上手くなるためには練習しかありません。宮沢賢治は決していい加減な人間ではありませんでした。いつも真面目でした。欲もなく人のために、全力で尽くした人でした。「雨にも負けず」の詩を読むとそれがよくわかります。日本で本当に特異な深い信仰心のある、心のきれいな作家でした。賢治の名作「銀河鉄道の夜」では他者のために尽くす、死の匂いが充満しています。「よだかの星」ではさらに自己犠牲精神が強調されます。賢治の最愛の妹、トシは女学校時代常に首席、日本女子大を卒業し英語の教師になりましたが、わずか24歳で肺結核で亡くなりました。賢治は最後まで寄り添いました。人は結局遅かれ早かれ死ななければなりません。しかし悲しみに満ちた「無声慟哭」を描き、作品の中にトシは生き続けます。死をいつも意識していた賢治。
厚手のコートを着て俯きがちに歩くポーズは、深く敬愛したベートーベンの散策姿を真似たものでした。
亡くなる当日まで仕事をして、トシと同じ肺結核で37歳で死去。膨大な作品は死後評価されたのです。

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