ふくろう通信 人間万事塞翁が馬
- 2020年
2020年3月 第246号
人間万事塞翁が馬
今回の新型コロナウイルス感染症に直面し、心に浮かんだ3つの言葉、箴言がありました。私に座右の銘はありませんが、考えさせられた言葉なのです。
①「人間(じんかん)万事塞翁(さいおう)が馬」は中国の古典の思想書「淮南子(えなんじ)」4に由来しています。そのあらすじは、老人の馬が逃げ落胆したところ、その馬が優れた別の駿馬を連れて帰ってきたので、とても喜んだ。しかし今度は老人の子供がその馬から落ちて、足を骨折し再び失望したが、そのおかげで息子は兵役を逃れて、命が助かった。というものです。不幸や幸福は予測ができないのだから、安易に悲しんだり喜んだりするべきではない、幸不幸は予期できず、何が禍福に転じるかはわからないといった意味になります。今度の感染症は人間にとって大変不幸なことですが、これで私たちがもっと賢くなれば、いい方向に転じることができます。私自身今までの人生を振り返ると、不幸なことが幸運の種だった、と思うことが多くあります。組織も国もそうでしょう。この諺を知ったのはずいぶん昔ですが、年をとるにつれ、段々その深い意味合いが理解さてきました。しばらくは禍が大でしょうが、それが福に転じることを心より祈ります。
②「あなたたちの中で罪を犯したことのない者がこの女に、まず石を投げなさい」ヨハネによる福音書第8章3〜11節にあります。聖書の中に、姦通罪で捕らえられた女をめぐり、イエスと律法学者たちが対決する場面があります。姦通罪は石打ちの死刑にされることになっていましが、イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」と言いました。すると一人また一人と立ち去ってしまい、誰も女に石を投げることができませんでした。この事は、この世で罪を犯したことのないものは一人もなく、自分が正しいことを根拠に人を裁く権利や資格をもつ者は、誰もいないことを明らかにしています。本来人が人を裁くことはできず、裁くことができるのは神のみということなのでしょう。私自身も罪ある身として共感し、立派な言葉だと思ってきました。しかし今回の感染背景を考えると、複雑な気持ちになります。これは自然現象だったのか、それとも人為的な何かがあったかどうか。原因の所在をはっきりし、もし間違ったことがあればはっきりさせて,今後に役立てなければなりません。それに自分のことは棚にあげ、他人を非難し責める輩には、十分注意が必要です。罪なき人が断罪されぬようにしなければなりません。
③「人事を尽くして天命を待つ」とは中国南宋の儒学者、胡寅(こいん)の『読史管見(とくしかんけん)』に由来しています。自分の全力をかけて努力をしたら、その後は静かに天命に任せるということで、事の成否は人知を越えたところにある、といった意味です。私の祖父は晩年、私にこの言葉の意味を教えてくれました。扇子にもそれをしたためました。昭和44年書。写真がそれです。祖父のことを思うと涙が出る思い出が多くあります。私が自宅遠くの付属中学校に通学していた時のこと、祖父は80台半ばにもなるのに、私が傘を忘れたので、はるばる自宅から届けてくれたのです。黒い長靴を履いて大雨の中、笑顔で渡してくれました。気骨のある、厳しくやさしい祖父で、この言葉通り生きた人でした。今度の感染症について、中国政府、各国政府、国際機関は懸命に事態収束に向け奮闘しています。私たち国民、政府も、私を含め人事を尽くさなければならないと思うのです。