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ふくろう通信 プラハ讃

  • 2020年

2000年11月号Vol.2 No.11

プラハ讃

今月号は私の唯一のヨーロッパ旅行を思い出してその紀行文をかきました。

あれからもう六年も経たった。1994年4月25日、生まれて初めてのヨーロッパの地、チェコ共和国の首都プラハを訪れた。音楽と美しい建物に満ち満ちた街。なんと麗しい都だったであろうか。今でも夢のように思い出す。

私は開業するまで田上病院に7年間、お世話になったが、在職中に院内感染を調べているうち、あるテーマが見つかった。それについて優秀な女医さん二人に菌の遺伝子解析の実験してもらったら、面白い結果が得られた。第6回国際感染症学会は何とプラハ、これは得がたいチャンスと応募したところ、運良く受理された。そこで学会参加を名目に、憧れの地である、チェコの旅に出かけたのである。オーストリアも訪れたがいずれまた記したい。

プラハは歴史のある古い都で、一時はハプスブルグ王国の首都でもあった。ロココ、ゴシック、ロマネスク、ルネッサンス様式と様々な多くの美しい建造物、幾多の尖塔が街を覆い尽くす。どこから眺めても調和がとれて実に美しい。プラハの街は、建築の博物館といわれる理由もよくわかる。ヒットラーでさえ大戦中は手を出さなかったため戦災には奇跡的にほとんどあわずにすんだ。このため戦後復興されたこぎれいな街と違い、石畳の隅々まで侵しがたい厳然たる雰囲気が残っている。チェコ出身の監督、M.フォアマンが撮ったモーツアルトの映画「アマデウス」のロケ地をプラハにしたのもうなずける。

5月のプラハは最高に美しいとされるが、確かにいい季節だった。美しい桜に似た花(もっと白い)を咲かせている樹木が町をおおい、多くの観光客が街に繰り出している。5月開催の「プラハの春」音楽祭には参加できなかったが音楽は常に身近にあった。教会のなか、広場、街角といたるところで辻音楽家たちが演奏をしている。そしてそのまたうまいこと。

気持ちのいい朝、アンデルという地下鉄駅を降りて歩いて10分くらいのところのモーツアルト記念館、ベルトランカ荘を訪れた。モーツアルトがプラハ滞在中はここで休んだという。建物自体はとてもかわいらしく、モーツアルトにちなんだ品々が展示されている。モーツアルトはプラハを深く愛し、たびたび訪れている。歌劇「ドン・ジョバンニ」は当地で初演された。また交響曲に「プラハ」という街の名をつけた曲もある。その午後にはドボルザーク記念館へ、ロココ調のしゃれた建物、広いホールには誰もいない。髪の長いお兄ちゃんがドボルザークと思わしき曲をピアノで弾いている。そして聴いているのは私一人。この豊な時間の贅沢、落ち着いた気分、何物にも代えがたかった。

ドボルザーク記念館   モーツアルト記念館 (ベルトランカ)内部

    

ドボルザークホールがある。チェコフィルハーモニーの本拠地であり、ここで同フィルの演奏を生まれてはじめて聴いた。入場料は日本円にしてわずか600円ほど、一般的に物価は確かに安かったが、それにしても安い。しかもかなりよい席である。ホールは1500人くらいを収容する中ホールだったが、歴史を感じさせる格調高い内外装は実に壮麗優美であり、大変豊な響きを持つ、優れたホールだった(下写真参照)。それに比べ長崎のブリックホールは響きの点でもまだまだのようだ。チェコフィルはその名声にたがわず実に素晴らしい演奏を繰り広げた。会場には多くの外国人観光客がいたが、その中に実にチャーミングな年のころ18,9とおぼしきオランダ人お嬢さんが私の後ろにいた。どういうわけか私に音楽のことをやたら聞いてくる。お嬢さんと会話を楽しんでいたが、別れの時にうっかり片言のドイツ語でさよならといったものだから、そんなことばは聞きたくない、といわれて往生した。まだまだドイツは嫌われているのだろうか。

また別の日はオペラ、チェコの作曲家スメタナの「売られた花嫁」観劇、これは学会のサービス、重厚な国立歌劇場で観る本場のオペラ、確かに素晴らしかったが、昼の歩き回った疲れも加わり、時々うっとりしてモルダウ川で船を漕いだ。今考えると全くもったいない話。この他ヨーロッパ屈指の温泉保養地、カルロビヴァリ訪問、プラハの由緒あるビアホール、ウ・フレクで飲んだ黒ビールの大変美味しかったことなど、まだまだ書きたいことは多いがいずれまた。

ドボルザークホール  ドボルザークホール内部

    

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