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ふくろう通信 私の予備校時代

  • 2019年

20199月 第240

私の予備校時代

むかし、長崎高等予備校が長崎駅前にありました

26聖人の西坂公園のすぐ近くに本蓮寺があります。幕末に勝海舟やシーボルトが滞在した由緒ある寺です。私が通っていた木造のおんぼろ予備校がすぐその下にありました。今は立派な信者集会所になっていました。下の写真では階段の左の建物です。数十年前に、私はここに1年間通いました。久しぶりその時の友人たちと話をしたりしていると、その頃のことが懐かしく、思い浮かんできました。

 

桜の花は散って大学入試に失敗し、昭和48年4月、晴れない気持ちで公立の長崎高等予備校に入学しました。校長は元県立西校校長の金谷林作先生、禿げ頭でタコみたいな顔の、声がとても大きい先生でした。開口一番言われた言葉が忘れられません。「君たちは石だ、しかも荒削りの石だ。頑張りが足らなかった。もう玉はみんな大学に入ってしまった。石は磨けば玉になる、これからは君たち次第だ。」むっとして聞いていました。

 

教室は大きな講堂になっていて、200人以上は入れたのではないかと思います。遠くの黒板に書かれた字がかすんでよく見えません。月を見上げるとウサギさんがぼやけている。これはおかしいなと思い、メガネ屋さんに行ったら、結構近視が進んでいたことがわかりました。猛勉強?した証なのでしょうか。

 

英語の先生は小柄な小泉先生、この人の口癖に英語は単語力、いかに沢山覚えるかで決まると話されていました。英語の発音がとてもいいのは驚きでした。それに生まれる星の下で運命が決まる、と話されていました。私はどんな星の下に生まれたのだろうかと、その時考えました。
数学の先生は背の高い痩せた先生で、真面目を絵に描いたような方。8時間はしっかり寝ないといけない、四当五落(5時間以上寝たら不合格)は嘘だと言われました。そこで言われたとおり、当時少なくとも7時間は寝るようにしました。
国語の先生は小太りの小柄な皮肉屋さんで、長崎人にとって気に障ることばかり言うのです。おくんちはブルジョア階級のお祭りで、私には関係ないとか。そんなことで皆からは煙たがれていました。退役した高齢の先生方ばかりで、とても癖ありの先生が多かったように思いました。

 

私は比較的熱心に登校していましたが、中には下のパチンコ屋によく通う友もいました。私は真面目に勉強していて、成績はまあ良かった。来年は大丈夫だと思い少し高望みしたら、先生達から前と同じ大学にしなさい、と。学校の合格実績が大事なようでした。時間は結構自由に使えましたので、いろいろな系統の本を沢山読みました。映画にもよく行きました。
西高出身のJ君と知り合いになり、彼は音楽が好きなようで話が合います。彼とは長崎大学管弦楽団で一緒に演奏することになるとは、その時は思ってもいませんでした。私がバイオリン、彼はチェロを弾くことになるのです。彼は現在脳外科の先生で、福岡で開業して大はやりです。
今は商業主義の予備校が林立していますが、あの頃予備校は少なく、のどかでした。お陰で希望校に合格できました。住吉に移転したこの学校は、8年前に姿を消したと聞いています。

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