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ふくろう通信 ザ・ピーナッツ

  • 2018年

201811 230

ザ・ピーナッツ

 長崎交響楽団メンバーによるプライベートな室内楽大会というのが先月に開催され、10団体、30人が参加、聴きごたえのある音楽会となりました。私たちの弦楽四重奏団、ふくろうカルテットはハイドンの「ひばり」という曲と、古き良き時代の懐かしのヒット曲メドレーを弾きました。そのメドレーはいわゆる懐メロで、「高原列車に乗って」とか、「すみれの花咲くころ」「鉄腕アトム」、「東京ブギウギ」、「月光仮面」等々。観客の団員は拙い演奏ながら、楽しんでいたようにみえました。私たちも勿論楽しんで演奏しました。ところで終わってからBS・TBSでザ・ピーナッツの特集番組があり、それを見たのです。懐かしの曲を、私たちと違って極めてハイレベルで歌い、久しぶり見た彼女らに圧倒された思いです。昔からピーナッツは好きな方でしたが、楽しくテンポ感ある名曲たちが、息のピタッとあった歌声で繰り広げられ、目が、いや耳が点になりました。

 若い世代は知らない人も多いのでしょうが、昔、ザ・ピーナッツは一世を風靡した、ふたごの歌手でした。一卵性双生児なので、二人はそっくり。熟年世代以降の方は、みんな知っているはずです。活躍は1959年から引退した1975年まで。同時代の、やはりふたごのコマドリ姉妹が演歌中心なのに対し、こちらはモダンで、ジャズ、シャンソン、ポピュラーとなんでもOK、しかも民謡や、童謡も上手に歌いこなせる、万能選手でした。発売されたシングル、LPレコードの総数は1000万枚以上に達しています。

 このTBSの番組の圧巻は27曲にのぼる豪華ヒット曲をメドレーで、なんと一気に歌い切ったのです。今これができる歌手は、まずいないでしょうね。共演した伊東ゆかり、中尾ミエたちもまだ若くて可愛いらしく、すごく上手、みんなうまいなー、と思わずため息をつきました。この時代の歌手たちの実力のすごさは本当にびっくりです。

 私がちょうど、小学生から高校生頃にかけて活躍していたのですが、その頃はあまりに日常的で、その素晴らしさについて、あまり意識もせず聴いていたのです。しかし改めて番組でその歌声を耳にすると、懐かしさと、こんなにすごかったのか、と再認識させられた次第です。当時、日本は高度成長時代で活気がみなぎり、社会と同様、音楽界も今よりずいぶんと魅力的でした。いい歌手、いい曲も多かったですね。私が年取ったせいか、今風の歌を聴いてもピンときません。今を否定し、過去を懐かしむのも老化現象かもしれませんが。

 ザ・ピーナッツは歌ばかりでなく、シャボン玉ホリデーなどのバラエティー番組や映画にもよく出演していました。印象的だったのは怪獣映画モスラでこびと役となって、「モスラーよ、モスラーよ」と歌っていた場面を思い出します。当時人気絶頂だったザ・ピーナッツの起用は見事としか言いようが無いもので、場面によく合っていました。録画した映画を見てつくづくそう思います。

 ヒット曲はデビュー曲の可愛い花、情熱の花(共に1959)、乙女の祈り(1960)、モスラの歌(1961,レコードは1974)、恋のバカンス(1963)、ウナセラディ・東京(1964)など多数あります。姉の伊藤エミさんは引退直後、沢田研二と結婚しましたが、12年後の1987年に離婚、そして2012年死去、妹のユミさんも後を追うように4年後の2016年に死去、二人とももうこの世にはいないのですね。

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