ふくろう通信 東京オリンピック マラソン 円谷幸吉
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ふくろう通信
2015年10月
1964年 東京オリンピック マラソン 円谷幸吉
今月12日は体育の日、私はもう古い世代なので、東京オリンピックの開会式が忘れられません。
古関裕而作曲の名曲オリンピックマーチを聴くと、あの時の感激が思い出されます。
そのオリンピック最期を飾るマラソンで円谷幸吉選手は3位の銅メダルを獲得、昭和11年のベルリンオリンピック以来28年ぶりに日本陸上競技のメダルをもたらし、日本人に自信と夢を与え、一夜にして英雄になりました。
私もマラソンを数年前から始め、その楽しさ、苦しさは少しばかりは理解しています。
フルマラソンは特にきついものです。
円谷幸吉選手はとても明るい性格で清廉潔白、厳しい練習に耐え、オリンピックで立派な成績を残しました。
しかしその後の厳しい練習による体の故障のため、メキシコオリンピック参加が絶望的となり、それを苦にして自害しました。
その心優しくも美しく哀しい遺書をもう一度読み直し、涙がこぼれました。
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遺書の全文(原文ママ)
父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。
干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液養命酒美味しうございました。
又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。
父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。
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この遺書を読んで川端康成は「ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きてゐる。そして、遺書全文の韻律をなしてゐる。美しくて、まことで、悲しいひびきだ」と感動していました。
昭和43年1月4日、自衛隊宿舎で自殺を遂げた円谷選手。
持病のアキレス腱手術後の回復の遅れ、椎間板ヘルニアによる強い腰痛が続き、思うように練習できないあせり。
しかも国民の大きな期待とそのプレッシャー。
好きな女性がいたにもかかわらず、監督から付き合いを禁止され、その女性は他の男性と結婚したことを知った絶望、八方塞でした。
気の毒な円谷。遺書は親思いで生真面目な、そして責任感の強い円谷らしい性格が見てとれるものです。
こんな純粋で真面目な、悲劇のランナーの日本人もいたことを私たちは忘れずにいたいものです。
そしてもうすぐやってくる東京オリンピックのマラソン競技を、円谷選手を思い浮かべながら観戦したいと思います。