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ふくろう通信 父の米寿記念

  • ふくろう通信

ふくろう通信

2012年7月

 

7月は記念すべき月、父の米寿記念

個人的なことで大変恐縮ですが、7月は私にとって特別の月です。

まずこの診療所が開院したのが1999年の7月26日、この日が来たら早いもので13周年になります。
また私の家内の誕生月であり、私の両親も7月に生まれました。

仲の良い二人は父が7月14日、母が続く15日で、しかも今年は父の米寿になります。
数えの88歳になりました。私にとってはとてもありがたいことです。

というわけで、今月号は父に捧げたいと思います。皆様どうぞご理解のほどおねがいします。

 

★私の父は大正14年に4男として生まれました。
軍隊には若くして駆り出され、上官から例のごとく大変なしごきにあったようです。

戦後食糧難や物資の不足した時期が青春時代で、一番苦労した年代の一人でした。
父には6人の兄弟と姉がいましたが、終戦後に生き残ったのは医者の3男と自分の2人だけです。

長男は軍医として敗戦直前、満州で死亡、一番仲の良かった5男は長崎大学医学部で原爆のため爆死、大変なショックだったと思います。
次男は一番優秀でしたが結核のため死亡、大変優しく美しかった姉は医者から注射をうたれた後、ショックで死亡しました。
父は医学部を希望したようですが、多くの子供たちを一度に失い失望していた、年老いた両親の面倒を見なければならず、除隊後は進学をあきらめ、仕事につきました。幸い生き残りましたが貧乏くじを引いた感じがします。

★しかし幸いよき配偶者に恵まれ、その後は次第に運がめぐってきたようです。
父はとても心優しい性格です。舅、姑に仕え、苦労していた母に対して一貫して優しく接しました。

母はトイレで涙しながら、優しい父の帰りを待っていた日もあったと聞きました。
父は浮いた噂などもなく、私と全く同じで妻一筋です。
その後、私と妹の二人の子供が生まれ、大事に育ててくれました。

毎晩楽しく怖い作り話を聞かせてもらい、私たちは眠りにつきました。
これと同じく、私も3人の娘に似たような作り話をして、毎晩せがまれるようになったのは父の影響でしょう。

父は優しいと書きましたが、私たちには小学生時代までは大変厳しく、間違ったことをやらかすと、応接間に連れて行かれて、しばらく閉じ込められ、そのあと、厳しい体罰が待っていました。
軍隊風に、私に歯をくいしばれといって、往復びんたです。これには参りました。

しばらく応接間はおっかない場所として私の記憶に残りました。
まあそのためか、私も妹も何とか一人前の人間にしてもらったので、感謝しなければなりません。
最近の子供さんはこんな上質な?体罰はあまりないのでしょうね。

★会社では大学出の上司に仕えなければならず、いろいろと苦労もあったようです。
しかし部下からとても信頼が厚かったようで、毎年正月には我が家に多数の方たちが集まり、盛大な新年会が開かれました。

部下の一人が事故で亡くなった時のこと、父は責任者の一人として左翼の労働組合から非難されながらも、誠実に対処し、またその小さい息子さんに、子供の月刊誌を毎月買ってあげたりなどして、できる限りのことはしました。

大人になってからは就職にも親身になって世話をしてあげて、今でも感謝されており、この点は本当に立派な親だなと尊敬します。

★私を公の席ではめったに褒めたりしませんが、医院開業祝のパーティーで、はじめて皆さんの前で有難いスピーチを頂きました。
自分がなれなかった医師という職業を私に強く勧め、それが叶い、開業できたことが嬉しかったのでしょうか。

今年の3月に16歳まで生きた愛犬を失い大きく落ち込みましたが、その墓と可愛い仏壇まで自分で作り、もっともっと優しくすればよかったな、と言いながら祈る父をみて、涙が出そうでした。

誇りに思う父です。

 

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