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偉大な音楽家のお話と病気(9) 黛 敏郎

  • ふくろう通信
  • 偉大な音楽家のお話

黛(まゆずみ)敏郎は 1929 年 2 月 20 日、神奈川県横浜市に中央が黛、左が團、右芥川生まれました。
戦後のクラシック音楽、現代音楽界を代表する音楽家の一人です。「題名のない音楽会」の司会者としても有名です。 私も以前、テレビで時々拝見していましたが、クールでハンサム、大変お話しが上手で、企画力も素晴らしい。何時も身だしなみやおしゃれにも気を遣われる方のようでした。このシリーズで既に芥也寸志團伊玖磨を書きましたが、この二人と黛敏郎はともに東京音楽学校(のちの東京芸術大学)卒で 1953 年に「3 人の会」を結成、3 人の思想信条はそれぞれ異なるものの、仲は大変良く、若手の嘱望される作曲家としての活動を始めました。実際その通りとなり、素晴らしい多くの作品が 3 人から生まれました。

 

つい最近 NHK の「100 分で名著」で三島由紀夫の金閣寺がとりあげられました。私はこれを見て
興味を抱き「金閣寺」を初読しました。1950 年 7 月に実際に起こった「金閣寺放火事件」を素材にし
て創作された、戦後文学の最高傑作の一つです。私にとって三島は実のところ、敬遠気味な作家でし
た。しかしこれはなかなか心理描写にすぐれた緻密な小説で、戦争後、三島のやり場のない思いが伝
わってくるような小説でもありました。やや難しい小説ですが、この小説をもとにオペラ化したのが黛
敏郎でした。その経緯は本(黛敏郎 Yamaha music media)によれば次のようであります。

 

ドイツ人のグスタフ・ゼルナーが金閣寺のオペラ化を黛に依頼、オペラ化は大変難しく、最初断って
いたのですが、熟慮の末 1970 年に同意し、三島に会って台本を依頼しました。三島は「別の形式(台
本)で書く気は全くない、ただオペラ化は嬉しいので、初演は喜んで見に行こう」というつれない返事。三島はこのオペラを見ることなく、会見もこれが最後のものとなりました。というのもその年の 11 月に三島は自決してしまったからです。その後紆余曲折があったものの 1976 年 6 月 23 日、ドイツ語でベルリンにて初演されました。ドイツの新聞 Die Welt は「日本のオペラの強力なヨーロッパ進出枯渇しかかったヨーロッパオペラに新鮮な血をもたらした」と評し、世界初演は好評のうちに迎えられました。日本初演は1982年と遅れ、全曲舞台上演はやっと 1991年渋谷のオーチャードホールで、岩城宏之の指揮で行われました。その後アメリカ(1995)、フランス(2018)でも上演され、初演後長い時を経ても、作品が新たな輝きを放ち、天国の黛もきっと喜んでおられるものと思われます。

 

このほか重要な作品には「涅槃(ねはん)交響曲」があります。 1958年4月2日、岩城宏之指揮、
NHK 交響楽団により初演、大反響を呼び、黛20歳台のこの交響曲は、日本クラシック音楽作品の金
字塔となったのです。私は1995年録音の岩城宏之指揮、東京都交響楽団演奏の CD を買い求め、聴
きましたが、今までのどの交響曲とも違い、梵鐘と声明を用いた仏教的な6楽章形式の不思議な曲で
した。 黛はこのほか沢山の曲を作りました。中でも東京オリンピックの映画音楽やスポーツ行進曲
有名で、後者を聞くと、懐かしい往年のプロレスのスター達の顔が浮かんできます。新しい実験的な音
楽にも果敢に挑戦、思想的には右寄りで誤解を招くようなこともあったと思われます。しかし多くの弟
子を育て、様々な面で日本のクラシック音楽界に貢献したことは本当に立派なことでした。1996年4
月に肺がんが見つかり、すでに肝転移していました。壮絶な闘病中オペラ「KOJIKI」を初演、最後まで作曲を諦めず、ついに1997年4月10日死去。享年68歳。「パッサカリア」が未完となりました。

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