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ふくろう通信 ずっとモーツアルト

  • 2021年

2021年2月 第257号

ずっとモーツアルト

 

ふくろう通信ではこれまで、何度かモーツアルトのことを書いてきましたが、今回は私の人生との関わりについて書きました。去る1月27日はモーツアルトの誕生日でした。今年は生誕265年です。かなり昔の人となりました。しかしその音楽は何時もエヴァーグリーン、新鮮で刺激的で優雅で、言葉にならないくらい素晴らしい。数多くのジャンルの音楽をこれだけ沢山、短い36年の人生の中で作曲した人は皆無でしょう。私はその音楽を小学校低学年から弾いてきました。

 

♬幼稚園:私は愛宕教会のレデンプトール幼稚園の第一期生。もう60年以上も前のことです。新設の幼稚園でしたので、情操教育に熱心で、私はバイオリンを習うことになりました。長崎児童バイオリンオーケストラを主宰する、吉田貞治先生に稚園まで出向いてもらい、私たち4人の園児の指導に当たってもらいました。実に優しい先生でした。爾来バイオリンが生涯の友となったのです。先生と幼稚園に感謝です。

♬小学校:熱心な先生のおかげで、小学生の頃はオーケストラでいろいろな曲を弾きました。とりわけモーツアルトは先生が愛好されたので、よく演奏しました。後期の交響曲39番、40番、41番(ジュピター)はよく演奏しました。またアイネ(一つの)・クライネ(小さい)・ナハトムジーク(夜の曲)(ドイツ語)は、聴いたらああ、あれだね、と誰でもご存じの曲のはずです。あーイイネ、暗いね、ナイトミュージックと覚えられた良いですよ。これもよく弾きました。小さな夜の曲、小夜曲(さやきょく)です。この曲には思い出があります。

♬中学校:1970年代に学研から「ミュージックエコー」という、中学生向け月刊音楽雑誌が発売され、毎月母が買ってくれました。それには 17cmレコード が付属していてる贅沢な雑誌でした。1971年7月号はモーツアルトの特集があり、レコードジャケットの表紙の絵がモンドリアンニューヨークブギウギで、曲はアイネ・クライネ。NHK交響楽団の演奏。この曲を何度も繰り返し聴いて、なんといい曲、いい演奏なんだ、としびれていました。この絵を見ると、いつもこの音楽が自動的に頭に浮かんでくるのです。

♬高校、大学:高校は勉強ばかりで音楽はほぼスルー、大学に入り長崎大学管弦楽団に入団、団員達とモーツアルトの室内楽をこよなく愛し、よく演奏しました。特にクラリネット五重奏曲はお気に入りの曲でした。私がコンサートマスターとなった、大学最後の演奏会ではブラームスの交響曲第1番、ベートーベンピアノ協奏交響曲第4番とともに、モーツアルトの序曲イドメネオを弾いた懐かしい思い出があります。

♬医師になって:仕事に忙しく、音楽には手つかずでしたが、長崎交響楽団(長響)と長崎オペラ協会の合同演奏会で大好きなモーツアルトのオペラ、フィガロの結婚が演奏されたのです。これを観たのがきっかけで長響に入団しました。ちょうどその頃、国際感染症学会がチェコ首都プラハで開催され、そこで学会発表しました。プラハは過去ハプスブルグ帝国の帝都でした。この街で彼のオペラ「ドン・ジョバンニ」が初演され、交響曲第36番の名は「プラハ」、彼はこの街を深く愛していました。私はプラハより美しい街はないと思っています。この時ザルツブルクウイーンにも訪れました。彼の生まれたザルツブルグは「サウンドミュージック」でもおなじみの街で、歴史あるとてもかわいらしい街でした。ウィーンはご存じのとおり、モーツアルトが活躍した街ですね。生まれて初めての欧州に、モーツアルトが私を呼んでくれたような気がします。

♬おわりに:モーツアルトは私の人生の同伴者です。常に彼の音楽がそばにあります。彼は映画「アマデウス」では滑稽に描かれ、女好きの浪費家のように扱われていて残念でした。実際は多くの病気に苦労しながら、自分の天才を誠実に音楽のために全力で捧げた人です。愛すべき人だけでなく、尊敬にも値する人です。

 

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