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ふくろう通信 20年前のことを振り返って

  • 2019年

2019年(令和元年)7月 第238号

20年前のことを振り返って

今から20年前は1999年(平成11年)にあたります。ちょっと怪しい五島勉のノストラダムスの大予言「1999年7月、空から降ってくる恐怖の大王によって、世界は滅亡する!」が人口に膾炙され、 このシリーズは大ベストセラーとなり、人々へ恐怖心をあおりたてていました。私も買って読んだ記憶があります。嘘だと思いました。しかしまさにその年のその月、1999年7月に当院を開業することにはなるとは思ってもいませんでした。そして予言は当たらずに済みました。

私は開業するまで、田上病院で7年間働きました。当時の院長で、つい最近まで県医師会会長をされていた、蒔本恭先生には副院長に拝命していただき、大変お世話になり、またよくして頂きました。先生のお蔭で、田上病院で得られた感染症のデータをプラハの学会で発表でき、生まれて初めてヨーロッパの地を踏みました。そのことは「ふくろう通信2000年11月号プラハ賛」で書いておりますので、興味ある方はご覧ください。

ある時自宅に一通のハガキが届きました。「医院開業のお手伝いをします」という内容です。ちょうど、開業のことを考えていた矢先でした。「ご自宅近くの西田医院が閉院されましたが、そこではどうでしょうか」と提案されたのです。ハガキの送り主は「アルス」、そこの会社に内装工事をして頂き開業しました。前院長の西田先生は、人格的に大変立派なクリスチャンで、聖フランシスコ病院の創立者、秋月辰一郎先生の友人でもありました。先生ご夫妻には、公私ともに大変お世話になり、深く感謝している次第です。またアルスの松尾社長はじめ会社の方々には、とても丁寧な仕事をして頂き、明るくモダンで、雰囲気のいい内装にして頂きました。有難いことでした。西田先生には、「私の昭和の医院が、あなたの平成のクリニック変わりましたね。」と言われたのを覚えています。

開業の準備は、内装工事の打合わせ、医療器具、薬剤、スタッフの選定、医師会とのやり取り、開業資金の準備などで、目まぐるしいことばかりでした。また田上病院の入院、外来患者さんの引き継ぎも重い仕事でした。多忙を極め、開業直前に今までにない、胸部の詰まったような不快感を覚え、狭心症かと思いました。実は睡眠時間が極端に少なくなったことによる、不整脈でした。この不整脈も開業してからはすっかり治まりました。というのも一転、大変暇になったからでした。田上病院を辞めて数日しか間をあけず、いきなり開業しましたが、今思えば2週間ぐらい余裕を持てたらよかったかなと感じました。そうしたら今までできない旅も夫婦でできたかもしれない。友人の一人は同じ立場の際、奥さんとスペイン旅行をしたと聴き、うらやましく思いました。

 1999年7月26日、開業当日はあいにくの雨、患者さん父や母の数人だけ、当初は3人の看護師と事務2人(内一人が妻)の6人体制でしたが、しばらくして妻と私の2人のみになり、患者さんも少なく、ちょっと大変な時がありました。しかしなぜか、いつも楽観していました。それは妻が私を常に支えてくれていたからでしょう。私が苦手な事務的作業は一手に引き受け、今でもやってくれています。それから20年たち私たちは爺婆になりましたが、今しばらく頑張りたいと思っています。またこれまでに私たちを支えて頂いた多くの皆様方に、こころより深く感謝いたします。

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