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ふくろう通信 芥川龍之介と長崎

  • 2021年

2021年3月 第258号

芥川龍之介と長崎

 

芥川也寸志が今月の連載(本紙裏面)「偉大な音楽家のお話と病気」のテーマですが、その父は「芥川賞」で超有名な芥川龍之介です。皆さんも教科書に掲載されている、彼の作品のどれかをお読みになったことでしょう。作品で有名なのは、「羅生門」、「蜘蛛の糸」、「河童」などですが、どれも簡潔に凝縮されていて、濃密な短編ばかりです。彼は長崎のカステラが大好きでした。岩波書店の彼の全集の中を見ると、長崎に関連した文章や小説が散見されます。長崎舞台の珠玉の短編には、次の五篇があります。「ロレンゾオの恋物語」、「煙草と悪魔」、「奉教人の死」、「じゆりあの・吉助」、「おぎん」で、いずれもキリスト教と関連した小説です。

 

右の記念写真は1919年(大正8年)5月、芥川龍之介と菊池寛が長崎を初めて訪れたときのもので、左から菊池寛31歳、芥川龍之介27歳、右端は芥川たちの世話をした資産家で文化人でもあった永見徳太郎29歳、その屋敷の庭で撮影されたものです。もともと芥川は旅行が好きであちこちを旅しています。中国が好きだったようです。長崎も印象深かったのでしょうか、長崎関連の小説や長崎滞在の様子を書いています。その中から「じゅりあの・吉助」を取り上げてみます。
あらすじです。

両親と早くに死に別れ、生来愚鈍な吉助は、村では牛馬の扱いを受けて、虐げられて暮らしていた。成長し、奉公先の一人娘に恋をした吉助は、当然のごとく恋に破れて、村から姿を消した。何年かして、乞食同然で帰村した吉助は、どうも様子がおかしい。村人が観察してみると、朝に晩に、額に十字をして祈祷していた。

吉助は長崎の牢屋に送られた。そして、引き出された奉行の前で、邪教の教義を詰問され、悪びれもせずこう言った。吉助「えす・きりすと様、さんた・まりや姫に恋をなされ、焦(こが)れ死(じに)に果てさせ給うたによって、われと同じ苦しみに悩むものを、救うてとらしょうと思召し、宗門神となられたげでござる。」
海辺で見知らぬ紅毛人からこの教えを受けたと言って、吉助は何度奉行が吟味しても、頑として信仰を捨てなかった。吉助は町中を引き回された上、磔刑に処せられた。 

そしてただ、降り注ぐ槍を受けながら、「べれんの国の若君様、今はいずこにましますか、御褒(おんほ)め讃(たた)え給え」と、高々と祈り続けた。その遺骸が磔柱からおろされたとき、吉助の口からは、一本の百合の花が咲き出ていた。

 

遠藤周作にも似たような小説があったのを覚えています。確か現在の橋口町に住む、愚鈍な男だったように記憶しています。さてこの作品では、正しくキリスト教を理解出来なかったある愚人の姿が描かれています。まず、代官所の取り調べの中で彼は、キリスト教を説明する際、「べれんの国の御若君、えす・きりすと様、並に隣国の御息女、さんた・まりや様でござる。」、「えす・きりすと様、さんた・まりや姫に恋をなされ、焦れ死に果てさせ給うたによって、われと同じ苦しみに悩むものを、救うてとらしょうと思召し、宗門神となられたげでござる。」等と間違った理解をしていることが伺えます。それでも著者は作品の最後に、そんな吉助に対して「最も私の愛している、神聖な愚人」と評しています。著者は一体彼のどこを評価しているのでしょうか。それは、彼の一途な信仰心に他なりません。いかにキリスト教というものを理解していようが、いまいが、彼の信仰は本物であり、最後まで信仰し続けたところを著者は評価しているのです。

皆様、短い原文をお読みになっては如何でしょうか。

 

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