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ふくろう通信 日本の旗、旗にまつわるお話

  • 2020年

2020年10月 第253号

 

日本の旗、旗にまつわるお話

 

白地に赤い日の丸の旗。日章旗は日本の国旗であることは承知の通りです。以前にある聖地の深い森の上高く、真っ青な空に映えて、翩翻(へんぽん)と翻る(ひるがえる)日の丸を見て、ああ、本当に美しいなあ、と心より思いました。日章旗は日本人の一人として思うに、世界で一番シンプルかつ美しい旗だとつくづく思います。今回は旗について、思いついたこと歴史的なことを記します。

 

日章旗が国旗として法律的に記されたのは、21年前のこと、ちょうど私どもの診療所を開設した年になります。国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律第127号)では、第1条 国旗は、日章旗とする。第2条 国歌は、君が代とする。とあります。国旗も国歌も正式採用されたのは、意外にもつい最近のことで、このことは寡聞にして知りませんでした。しかし今なお憲法には成文化した記載はありません。

 

外国では街中でよく国旗が、特に祝日でもないのに掲げられています。特にヨーロッパなどの観光地では多い気がします。またテレビや雑誌などを見ると、アメリカ合衆国や中国では国旗が、街路を埋め尽くすほど、たくさん掲げられている光景を見ることがあります。米国は人種のるつぼの国であり、中国は多民族国家なので、国家のアイデンティティに国旗や国歌が重要であることは、十分に理解できます。それに対して日本は祝日に国旗を掲揚している家は、そう多くありません。また国は国旗と国歌の掲揚と斉唱を勧めていますが、すごく強制的という訳ではないようです。また日本は、ほぼ単一民族国家なので、同一性が高く、国旗をいつも掲げる必要性がないのでしょう。これはこれでいいと思います。

 

日の丸の歴史を紐解くと、元々古代より日本人は太陽を信仰の対象としていました。飛鳥時代末期に国号を「日の本」と命名し、645年に太陽を象徴した旗を用いるようになったとあります。これがいつ、白地に赤い丸の形に定着してきたのかは、正確には不明ですが、源平合戦の頃かも知れません。平家は赤地に金丸、源氏は白地に赤丸を使用し、平家が滅亡したため、源氏の日の丸が、天下統一を成し遂げたものの象徴として、受け継がれました。そして幕末には国籍標識として導入化され、その後に一般化しました。

 

バングラデシュの旗は日の丸と似ています。緑の地に赤の丸。どうして似ているのか調べてみると、親日家、初代首相のシェイク・ムジブル・ラフマンが、世界各国の国旗事情に詳しい、日本人の吹浦忠正氏に意見を求め、決定されました。世界の国々の国旗はそれぞれの歴史があり、尊重されなければなりません。1958年5月2日、長崎市の浜屋デパートで、中華人民共和国の国旗である五星紅旗が、右翼の28歳の男に毀損された事件(長崎国旗事件)があり、中国政府は過激に反応、約2年半にわたって貿易停止に陥り、商工業者は大きな経済的打撃を受けました。

 

ところで日本の旗の赤色は、日本に侵略された国の死んだ人の血の色であり、国旗として認めることができないという人がいます。そうしたら中国国旗の赤色、アメリカ国旗の赤色、フランス、ドイツをはじめ多くのヨーロッパ国旗の赤色はいったいどうなのでしょう。各国の歴史にはそれぞれ消し難い汚点がありますが、それを長い歴史のある旗のせいにすることはどうなのでしょうか。1997年と古い世論調査ですが、日章旗を日本の国旗として賛成は83%、反対は8%。多くの国民は日の丸を大事に思っているようですね。

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