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ふくろう通信 残されたわずかな時間、最期を生きる

  • 2019年

2019年4月 第235号

残されたわずかな時間、最期を生きる

「美丘」、「生きる」、「空海」のドラマ、映画を見て

ショーケンこと萩原健一が先月26日、67歳で亡くなりました。私とほぼ同世代で、4回の逮捕、3回の結婚歴がある、破天荒な人生。しかし多くの人から愛され、ある種の人徳もあったのでしょう。彼は10万人に1人ともいわれる消化管間質腫瘍が死因でした。100万に1人といわれるクロイッツフェルト・ヤコブ病(以下CYD)もまた非常に珍しい病気、最近私の患者さんの父君がこの疾患で苦しみ、そのことで相談を受けました。この病気についてよく調べてみると……………

美丘:吉高 由里子(右写真)が主演した「美丘」というドラマが2010年に放映されました。ラララ・クラシックで司会をされていた石田衣良の小説をドラマ化したものです。ユーチューブで一部を見たのですが、衝撃的な内容でした。美丘はまだ20歳の若い女の子、事故で移植手術を受けCYDに感染したのです。プリオンという病原体が疾患の原因で、次第と脳が海綿状化し、発病より数ヶ月で認知機能低下、運動能力の低下が急速に進行します。牛が罹ると狂牛病です。起立、歩行が不能になり、1~2年で全身衰弱、呼吸麻痺、肺炎などで死亡する難病中の難病です。病気が発症してからの美丘はだんだん記憶がなくなり、体は動かなくなり、苦しみますが、彼女の信念である「ありのままで居続けること」を守り続けます。どんなに痛くても、記憶を失っていっても、その信念は揺らぎません。そういう彼女を恋人の太一は美丘を支え続けます。普通に健康でいることがどれだけ幸せなことか、そして自分をしっかり持つことがどれだけ大切なことかが、美丘の短い生涯から感じとれます。主演の吉岡自身大事故にあってから、人生観が変わったといいます。感謝する事、生きていることの大事さがわかったといいます。それで美丘に共感するものがあり、好演につながったと思われます。

生きる:美丘を見て思った映画に、黒沢明監督の「生きる」を思い出しました。私が生まれる前の昭和27年に作られた白黒映画ですが、この内容が素晴らしい。自分が胃がんであることを知り、人生の意味を見失った市役所職員、渡辺は役所を無断欠勤し、これまで貯めた金をおろして夜の街をさまよう。パチンコダンスホールストリップ劇場などを巡る。しかし、一時の放蕩もただ虚しさだけが残る。ある人物と出会い、わずかに残された人生の意味を深く考えて、子供のための公園作りに奔走する。頭の固い役所の幹部らを粘り強く説得し、ヤクザ者からの脅迫にも屈せず、ついに住民の要望だった公園を完成させ、雪の降る夜、完成した公園のブランコに揺られて息を引き取る。ある作家の話ではアメリカ人はこの映画を見終えると、全員が起立して拍手をしたそうです。ベルリンでは賞をとりました。世界的に評価された、ヒューマニズムにあふれた名作、黒沢映画の中でも際立っています。主演した志村喬が光っていました。

空海:弘法大師様は誰でも知っている通りの宗教的偉人。北大路欣也が好演した映画でしたが、中でも最後の死に方に興味を持ちました。天才的な空海はあらゆることをやり遂げながら、最期は死期を自覚し、食事もとらず、命日を決め、仏の前で祈りながらその通り往生しました。恋々としない潔い死に方でした。死を前にどう生きるか、私もそろそろよく考えてみなければと思いました。

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