ふくろう通信

ふくろう通信 さくら さくら……

2018年4月 第223号

3月の中ごろ、次のような夢をみました。夢の中の私が、私に向かって、次のふくろう通信では「さくら」について書きなさい、と言うのでした。月末になるとふくろう通信で次は何を書こうかと、気をもむこともたびたびありますので、私の深層心理が早めに題目を与えてくれたのでしょう。しかも、これとこれを書けばいいと、具体的にその内容まで伝えてくれたのです。内容はバラバラなので、オムニバス形式になります。3月下旬の今、さくらが満開で本当にきれいです。

音響会社、 ボーズ日本の元社長はさくらさん、佐倉住嘉(すみよし)氏です。30年前頃、私がボーズの製品を買ったところ、福岡での同社主催のパーティーに招待され、当時社長の佐倉さんの話を聞く機会を得ました。すぐに大変有能な方だということがわかりました。既成概念というものにとらわれない発想ができる方で、彼の発想に基づく製品が日本で開発、アメリカ本国にそれらが逆流して良く売れたそうです。その会では驚くべき新製品の初公開、ということで大変盛り上り、楽しませてもらいました。氏は1936年東京・神田生まれ。東京外国語大卒業後、内外の多くの会社で活躍。78年ボーズ社日本法人代表取締役就任し、ボーズ日本法人を存亡の危機から救いました。米国ボーズ本社の副社長も歴任しました。当院の天井にある四つのスピーカーは全てボーズ製です。いい音で鳴っているでしょう?!

特急さくらについては懐かしい思い出があります。私が小学1年生を終わる春休み、母と東京に初めて行きました。田舎暮らしの私には驚きの連続でしたが、その時は急行雲仙の2等寝台で行きました。途中特急さくらに抜かれたのをよく覚えています。ブルートレインの颯爽とした姿を見て、「あの列車で行きたかったな」と母に言うと「特急は高いのよ」答えました。さくらは旧国鉄、列車番号では何と1番にあたり、長崎と東京を結ぶの名誉ある特急でしたが、これは鹿児島と博多間の新幹線名に変わり、残念でなりません。

矢の平街道や東長崎の日見街道にはさくら並木が昔ありました。春にはとてもきれいなさくらの並木が続いていて楽しんだものです。今は残念ながらもうありませんね。私の小学校は今建て替え中の伊良林小学校です。矢の平の一番上の方に住んでいた私にとって、学校まで歩くには結構距離がありました。でもけなげにも雨の日も嵐の日も雪の日も、まだ舗装されていなかった、泥んこ道を通学していました。春には道の両脇に咲く桜がとても見事でした。

平和公園のさくらのことについて、妻は個人的なことなので載せるなと言いますが、せっかく「さくら」が標題ですので掲載します。以下の文章は2003年4月のふくろう通信43号からの一部引用になります。
新年度になると私はいつも鮮明に思い出すことがあります。医学部を卒業したばかりの頃、桜が美しく満開の平和公園をひとり歩きながら、幸せな時代に生まれたものだ、でも何か足らないな、私の伴侶になる人は今どこにいるのかな、桜でも見ているのかな、などとばかなことを思ったことがあります。その伴侶がその公園近くの診療所で、甲斐甲斐しく私の仕事を助け、可愛い子供たちを産んでくれ、家庭を築きあげていったことに何がしかの感慨があります。