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ふくろう通信 昔の日本・今の日本

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ふくろう通信

2012年4月

 

昔の日本・今の日本

私は昔のことを言い出すと、妻からもっと前向きに生きなさい、くよくよしても仕方がないよ、といわれます。
まさにその通り、しかし今回は昔のことを振り返りつつ、今の残念な日本の状況を考えてみたいと思うのです。

50年前、私は全校生徒3000人の長崎一のマンモス校、伊良林小学校の1年生でした。担任は優しい松尾和子先生、校長はきりっとした紳士の山村長太郎先生。

家は矢の平の一番上で、学校までかなりの距離で、雨が降れば道は泥んこでしたが、そんな時は長靴を履いて元気に通学していました。
春には通学路の両脇の桜が満開となり、とてもきれいでした。家の周りは田んぼや畑が多く、下の家には豚が飼われていて、独特の匂いが立ち込めていました。
その家で毎年新年には餅つきがあり、楽しみでした。
近所の方々との付き合いの濃さは今の比ではなかったように思えます。
夏になれば家の中をトンボが通り抜け、庭の池にはオオシオカラトンボが定位置に止まっていました。
ホタルも家の中に入り込んできた、あの懐かしい子供時代、自然も人情も本当に豊かだったことが今更ながら思われます。

 

50年前の高度成長を始める助走の時期、首相は池田勇人、「貧乏人は麦飯を食え」の言葉を残しましたが、真意は、今はじっと耐えて頑張れ、明日がある、なのでしょう。

あのころはオリンピックも真近で、活力がありました。
またアメリカは共産圏に対抗すべく日本を防波堤として寛大に扱ってくれていて、その庇護のもとで日本は周りにあまり心配することなく、経済活動に専念することができました。
それから日本は経済を最重視して登りつめ、金満日本になったと思ったとたん、1990年にバブルがはじけ、長い低迷の季節が始まります。

周りを見渡すと通学路にあった桜並木はなくなり、泥んこ道は綺麗に舗装された2車線の道路、トンボは数を減らし、ホタルは全くいなくなりました。下の豚はもちろんいなくなり、周りには立派な家がたくさん建ち、田畑もなくなりました。

人々の生活は変わり、日本全体も懐かしい風景はかなり姿を消しました。

私は経済活動が悪いとは思いませんし、豊かになったことは、それはそれで良かった。
しかし失ったものも多かったなと思います。

まず物質的なこともさりながら、失ったことの最も残念な一つに日本の自立の精神が全くなくなってしまったことです。
アメリカに余りにも頼りすぎました。
政府も官僚もアメリカの方向ばかり気を取られてしまった、現在の日本はどうでしょうか。

現政府はアメリカからTPPがいいといわれると、国民に十分な説明もないままそれに飛びつき、マスコミまで同調してしまう始末。

田中角栄首相がアメリカより先に中国と国交を結んだり、独自の資源外交を始めたりで、アメリカのトラの尾を踏んでしまい、アメリカが糸を引いたロッキードスキャンダルで失脚しました。

これ以降アメリカにはっきりものを言う政治家はほぼ皆無となりました。
小泉首相に至ってはアメリカにしっぽを振って言いなりになり、100万のイラク人が死亡したイラク戦争もフランス、ドイツは反対したのに、真っ先に賛意を表しました。新自由主義経済とかで国民の貧富の差は大きくなり、大事な医療制度は瀕死の重傷を背負うことになりました。
マスコミのもてはやし方で人気はあったのでしょうが、私にとって、いや日本人にとっては最悪の首相だったと思います。

マスコミの影響もあり、鳩山・小沢は人気がありませんでしたが、アメリカ追従をやめようとして、つぶされたのでしょう。
なぜ彼らだけに検察は牙をむいて襲いかかるのでしょうか。
それは既存の体制(官僚・アメリカ・マスコミ、経済界等々)がたてつくことを許さないのではないかと思います。

野田首相も財務省の言いなりで、彼が最初に言った、官僚の天下りを廃し無駄な金を使わないはうやむやとなり、逆に増税が先になって残念です。

私が思い切って書いたことに異論のある方も多いと思いますが、日本が舵を大きく切って新たな一歩踏み越えることを願うばかりです。

 

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