ふくろう通信

ふくろう通信 謹賀新年2012年

ふくろう通信

2012年1月

 

謹賀新年  

 

今年もどうぞよろしくお願いいたします。昨年はみなさんご存知の通り、自然災害や、世界的経済悪化、政治的混乱に見舞われた、近年まれにみる年だったと思います。

今年こそはと思いますが、いろいろ情報を見る限り、好転する要素は少ないように感じます。
私たち庶民は日々の与えられた仕事を懸命に、そして誠実にこなしていくしかないと思っています。
しかしあの未曾有の東日本大震災の中で示された、日本人の譲り合い、助け合いの精神、マナーを守り、他の人のために尽くすそれこそ本物の自己犠牲を目の当たりみると、日本は決してこのまま落ち込んでしまう国ではないと思います。
新しい方法による再生も見逃せません。
また過去に目をやると他国の発展のため身命を捧げた日本人もいます。
日本はさらに困難に直面してもきっと時間をかけて甦るでしょう。

 

中国人留学生を救った日本人:
中国の新華社は、佐藤充さんが中国人就学生を助け、犠牲になった姿を次のように詳しく伝えました。

「地元の人々の助けがなければ、私たちはとっくに死んでいたでしょう」。

中国・大連出身の研修生・衣亜男さんは目に涙をためながらこう語った。
女川町は今回の大地震で人口約1万人のうち半数以上が今も行方不明。
町内は一面の廃墟と化し、海岸線にはいくつもの遺体が打ち寄せられた。
これほど深刻な被害を受けた女川町で約100人の中国人研修生が難を逃れることができた。
多くの人は地元の人の助けにより九死に一生を得たという。
地震発生時、地面が激しく揺れた。
佐藤水産株式会社の中国人研修生20人は宿舎付近の高台に避難した。
まもなく、同社の佐藤充専務が「津波が来たぞ!」と叫びながら走って来て、彼女たちを連れてさらに高い場所にある神社へと避難した。研修生を避難させた後、佐藤専務は妻と娘を探すため宿舎に戻った。

しかし、宿舎はまもなく津波に呑まれ、佐藤専務はそれっきり戻ることは無かったという。
曹晶さんは「皆さんの助けが無ければ私たちは一体どうなっていたことか。
想像することもできません」と述べる。
時間との戦いとなる避難の中、地元の人々は全ての命を同様に扱い、尊重してくれた。研修生たちはこのことを一生忘れないだろう(一部省略)。

 

新しい農業生産方法の展開:
塩害でダメになった農地を救うため、水耕栽培を大規模に行う事業が進められています。
報道より一部引用します。
仙台市と日本IBMやシャープ、カゴメなど約20社は、東日本大震災の被災農地に大規模太陽光発電所を建設、その電力で2012年秋に国内最大級の水耕栽培・食品加工の事業を始める検討に入った。
参加企業は日本IBM、シャープ、カゴメ、などや地元の農業生産法人。
仙台市内の沿岸部、若林区で津波の被害を受けた農地で新事業を始める。
事業費は約100億円で、仙台市は一部に国の第3次補正予算も充てたい考えだ。
農地に工場を建設することになるため、仙台市は政府に特区を申請して実現する方針。
対象地を持つ農家と仙台市が長期の賃貸借契約を結び、事業収入を賃料に充てる。

震災を機に廃業を考えている農家と今後、本格的に交渉を進める。これがうまく軌道に乗るといいですね。

 

孫文の恩人、長崎の梅屋庄吉:
「この孫文像は日本の大切な友人、梅屋庄吉から贈られたものである。絶対壊してはいけない。」名宰相、周恩来は文化大革命の困難なとき、この像を安全な所に隠すよう命令しました。

孫文に見返りを全く顧みずに金銭的、精神的協力を惜しまなかった梅屋庄吉のような立派な日本人がいました。
またナチから6000人のユダヤ人を救ったリトアニア駐在外交官、杉原千畝が有名ですが、樋口季一郎も旧満州で数千人のユダヤ人を助け、戦後イスラエル建国功労者として「黄金の碑」にその名を記され、永遠に顕彰されています。
日本は先の大戦中に近隣諸国に多大な迷惑をかけましたが、それだけではなく多くの日本人の各国への歴史的貢献もあったことも同様に忘れないようにしたいものです。