ふくろう通信

ふくろう通信 ヒトと動物について

20117 

ヒトと動物について

 

私は動物好きです。

いま飼っている犬は、容姿も可愛いのですが性格もとてもよくて優しいのです。主人に似て少しイヤシンボですが、私を心から信頼し、帰ってくるとまず、一番最初に飛びついてきます。
それで疲れが吹っ飛びます。動物はいつまでも無心で、打算のない愛がそこにあります。動物と心を通わせることができることの幸せをしみじみと感じます。ところで今日本における動物の接し方はどうでしょうか。飼えなくなると何と捨ててしまう方もいて、とても悲しい思いをするのは私だけではないでしょう。

 

動物好き
私は基本的にどの方ともできるだけ心置きなく付き合うように努めております。特にその方が心からの動物好きであれば、例外もありますが、だいたいにおいて、楽しいお付き合いができるようです。ただ、私は音楽好きですが、音楽好きの方とは必ずしもいつもいい関係であるとは限りません。立派な方も多いのですが、変わった方が多いのは、むしろ音楽好きの方のほうでしょうか。

ペットについて
今の日本にはペットがたくさんいます。ペット療法も効果を上げています。
例えば、末期患者、犯罪性のある精神障害者、障害児、性的虐待を受けた子供達のために有効です。また日常生活でも一緒に暮らすペットから癒しやリラックス効果を実感している人は多いでしょう。しかし残念ながら多くのペットが人間の身勝手で捨てられ、殺されている現実があります。また悪徳ブリーダーも数多くあり、そこで商品価値のなくなった犬や猫たちをむごい環境で死なせています。それらのことについてはここでは紙面もないので書きませんが、興味ある方は太田匤彦氏の「犬を殺すのは誰か」(朝日新聞出版)を読まれたらいいでしょう。

 

被害地の動物、ペットたち
震災で多くの人が亡くなったり行方不明になり、その方々のペットや、飼育動物たちも大きな被害を受けました。
犬や猫、そして牛たちがさまよい、痩せながら死んでいった姿をみると、人間の業の深さを強く感じます。牛を手放さなければならなかった酪農家は「原発さえなければよかったのに」といって自殺されました。その方と同年代の私はおおきなショックを受けました。朝日新聞は牛の殺処分をいわれた酪農家の言葉を伝えています。
元気な牛を殺す資格は誰にもねえ。平気で命を見捨てる。それは同じ生き物として恥ずかしくねえか。ここへ来て、悲しそうな牛の目を見てみろ。言いたいのはそれだけだ

 

哲学者とオオカミから
今、私は左記の本(著者:マークローランズ・白水社)を読んでいろいろと啓発されることがありました。
その中から一部ご紹介します。哲学者だけあり、難しい言い回しもありますが、サルを人間にたとえ、オオカミを本当の自然にたとえ、こう言っています。
サルは物の価値をそれが自分に役立つかどうかで測る、人生で一番大切なものも、コスト、利益分析の視点から見る。だからサルには本当の友だちはいない、いるのは共謀者である。これに対してオオカミは私たちに人生で最も重要なものは決して計算ずくで得るものではないことを教えてくれる。真に価値があるものは量で測ったり、取引できないことを思い出させてくれる。そして私たちの誰もが、オオカミ的というよりサル的であると。その意味において著者は、ブレニンという名のオオカミは自分を教えてくれた兄でもある、といいきっています。サルは原発推進をしてきた方々でしょうか、私も含め多くの日本人もそうではなかったか?

 

敬愛する作家、故中野孝次氏の言葉
深く愛した柴犬の一生を描いた「ハラスのいた日々」は多くの犬好きに愛され、私も興味深々で読みました。また映画化もされました。
その中で「犬もこの地球上に生きる一つの命である。しかも何千年来の人間の親しい友である。その親しい命への想像力と共感を失う時、ヒトはヒトとしてだめになってしまうにちがいない」と断言されています。