ふくろう通信

ふくろう通信 戦艦武蔵

20108 

戦艦武蔵

 

 

父や祖父が三菱に勤めていましたので、船の本がいろいろとあり、小学生のころ、それを見て戦艦や巡洋艦、駆逐艦などの絵を描くのが大好きでした。
特に長崎で完成した戦艦武蔵が大好きで、精密に模写しては、うまいうまいと周りから褒められてはいい気になっていました。
無邪気で戦争の意味もよく知らなかったあのころ、映画、漫画、雑誌にと、まだ戦争の残滓も多く見られた時代でした。
広島県呉市の海軍工廠(こうしょう)で建造された戦艦大和と同型の武蔵は、大和に比べ何かと地味な存在であることは、同じ被爆地なのに広島のほうが長崎よりいろいろな面で積極的なのと相同性を感じるのは私だけでしょうか。

8月はなにかと過去の戦争を思い出させてくれます。

 

何故いまさら武蔵、と思われる方もあるでしょうが、先年亡くなられた吉村昭氏の名作「戦艦武蔵」を読みながら、いろいろな思いにとらわれたのです。
吉村氏は私の敬愛する遠藤周作氏と同様、長崎をこよなく愛され、小説の取材のため何度も来崎された方です。この小説の存在は昔から知っていましたし、いつか読もうと考えていました。

 

まず長崎市民に多くの負担があったことを知りました。厳重機密のため船体を隠そうとして、ガントリークレーン全体に500トンにものぼる棕櫚(しゅろ)の繊維で覆いました。
棕櫚が耐久性、耐水性、耐燃性や軽さ等あらゆる点で理想的であった為で、台風時にも十分その役目を果たしました。反面棕櫚が枯渇し、漁具製造、海苔養殖業者に甚大な混乱、被害を招きました。
建造中は市内の山の登山が禁止され、日本各地の老練な特高刑事たちが市内に多く入り込み、監視の目を光らせていました。日中戦争当時でもあり、市内在住中国人も執拗な訊問、拷問を受け、無実のスパイ容疑で逮捕されたり、釈放嘆願する市民も要注意人物として監視され続けました。

最も大きな事件は厳重管理されていた31380枚にも及ぶ図面のうち、とりわけ重要な一枚の紛失事件です。現場にいた技師6名と製図工2名が一番疑われました。
刑事たちに執拗な拷問を受け、顔を腫らし血を垂らしながら南京虫のいる独房に留置されても、いずれも無実を訴え続けました。
結局最年少19歳の製図工の少年が犯人とわかり、懲役2年の刑を受け、特高の手で満州に送られました。釈放された7名中3名は極度の神経衰弱になったといいます。この影響で工期が2ヶ月以上滞り、建造に大きな影響を与えました。
艦政本部から工期の繰り上げを何度も要求され、朝8時から夜11時まで休日返上で働きずめとなり、人力の限界をはるかに超えました。

こうして完成された武蔵は全長263m、全幅38.9m、排水量68200トン(満載時71100トン)最大速度27ノット(50km)軸馬力150000馬力、主砲46cm砲3連装3基9門、乗員2300名、舷側鋼鉄41cmの世界最大の戦艦でした。
レイテ沖海戦では、撃たれても撃たれても沈まない武蔵に対し、もうこの戦艦を沈める事は出来ないとまで思わせましたが、爆弾、魚雷を猛烈に多数撃ち込まれ沈没、多くの人命が奪われました。

結局大した活躍をする事無く沈んだ大和、武蔵に対し「無駄な存在」としての烙印を押すのは簡単です。しかし現実には、造船技術を高く評価した世界各国は、終戦後大和、武蔵を造った国の船を求め、日本の造船業は戦後の経済発展の一翼を担い、長崎三菱造船所も潤ったことでしょう。

この戦争で亡くなられた多くの方たちのおかげで今の平和な日本の繁栄を享受できたと思います。もうすぐ原爆記念日、終戦記念日がやって来ます。
前世界大戦、そして今も続く戦争で亡くなられた全世界すべての方に深い哀悼と祈りを捧げたいと思います。