ふくろう通信

ふくろう通信 走ることと村上春樹

20105 

走ることと村上春樹

 

 

走ることについて語るときに僕の語ること」という少しまわりくどく、覚えにくい題名の村上春樹著の本があります
私はこの本で村上春樹がフルマラソンや100kmのウルトラマラソンを走る、ランナーであることを知りました。果てはトライアスロンまでされるのです。

詳しい内容は忘れましたが、この人の語りかけの妙に大変驚きました。本当に人をひきつけるものを持った方だと感心し、若い人に人気があるのも、おじんである私にもよーくわかりました。
そして今では「1Q84 BOOK1~3」をはじめ、いろいろな彼の本を読んで楽しんでいます。まさに彼に触発されて50歳を超えて走り始めましたが、そのことについて少し書いてみます。

 

人生はマラソンに例えられることもあります。
長い長い距離をずっといろいろな苦難、試練に耐えながら、そして様々な喜び、楽しみも享受しつつ、やめないで走りとおすことでしょうか。
そしてその中で自分を少しずつ高めていくことが、人生の意義なのかもしれません。

 

ところで実際に私が50歳を超えて、今まで大嫌いだった走ることが好きになり、昨年はさが桜マラソン10km、そして今年2010年はその20kmのハーフマラソンに出場し、完走できるようになるとは夢にも思っていませんでした。
はじめはたった1kmでも走ると息が切れていたのに、しばらくすると10kmくらいは平気で走れるまでとなりました。

そのうち過去のマラソンランナーはどんな気持ちで走っていたのだろう、と思いを寄せて、君原 健二著「人生ランナーの条件」を読んでみました。
そのことについては、ふくろう通信の2008年9月号で書きましたので、詳しくは割愛しますが、内容の一つに「結果は好成績でも、試合が満足なものとは限らない。私たちはつい結果だけに目がいく。
しかし君原はいかに試合を運んだか、その過程がとても大事だということを私たちに教えてくれる。本当に燃焼しきったか、努力をしたか、集中できたか、これらがポイントだ。」ということがあります。
そうか、過程が大事なのだ。立派な選手はそうだったのだな。そうはいっても過程が変なことになることが多いのが普通の人、まさに私の走り方、人生と少しあきらめ気味ではあります。
しかし過程が大事なのはよく理解できます。結果もだいじですが。

 

さて、村上春樹の本のほうに目を向けてみます。
次のような興味深い一文があったので、ここに掲げます。

「もし、忙しいというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんあるからだ。」

わたしたちは何事につけてもできない言い訳は沢山考えますが、実行していくための意志の力は弱いものですね。
やめないで続けること、走ることと同様、人生を最後まであきらめず生き抜くこと、それだけでもできれば、普通の人にとって、過程が少しおかしくても立派であると考えてよかろうかと思うのです。

村上春樹は私に様々な楽しみを教えてくれます。
彼は大の音楽好き、ジャズやクラシック音楽にも造詣が深く、「Portrait in Jazz」や「意味がなければスイングはない」は私のお気に入りの本です。
ところで今話題の「1Q84」は文章は平易なのに物語はやや難解です。しかし実に面白い。しばらくは彼から目が離せません。

創立40周年、長崎交響楽団第75回定期演奏会のお知らせ

7月4日(日曜日)シューマン:ピアノ協奏曲、チャイコフスキー:交響曲第5番、他

指揮:大井 剛史、ピアノ:伊藤 恵